梅干しの保存方法 

●現在、食品の保存は冷蔵庫(近年は非常に優秀な物が多い)利用の固定観念が多いと思いますが、あくまでも生鮮食品等を暑い時期に温度を下げ雑菌の繁殖を抑え即時即日に消費すべき処を数日腐敗の進行を時間稼ぎするものと思います。

●腐敗をさせない為にも、温度変化(冷蔵庫の出し入れ)を与えることによって商品の表面に水滴(空気中の雑菌)がつき腐敗・カビに繋がると思います。

●梅干しに限らず、保存食品は常温で日持ちをするように作られています。


梅としそ(壜入り)梅105g/しそ18g 南高梅

販売価格:
1,296円(税込み)
会員価格
1,231円(税込み)
通常価格
1,296円(税込み)
商品コード
99700
JANコード
4945810993028
カテゴリー
昔ながらの梅

の歴史

古代から菓子や薬、時には縁起物として重宝されるだけでなく、歌にも詠まれ、親しまれてきた梅は、日本の歴史や文化に深く寄り添ってきました。

梅の起源

梅は中国原産の花木で、2000年前に書かれた中国最古の薬物学書『神農本草経』には、すでに梅の効用が説かれていました。


梅が日本に伝来したのは、3世紀の終わり頃。百済(くだら)の帰化人・王仁(わに)がもたらしたとする説や、欽明天皇(531年即位)の大和時代に、中国・呉の高僧がもたらしたという説があります。


日本の文献に「梅」という文字が最初に現れるのは、日本最初の漢詩集といわれる『懐風藻(かいふうそう)』(751年)におさめられている、葛野王(かどののおおきみ)の「春日翫鶯梅」と題する五言詩です。また、日本最古の歌集『万葉集』にも、梅を題材とした和歌が数多くあります。


このように中国から日本に伝来した梅は、珍しさもあり多くの人たちに愛されました。しかし、梅が重宝されたのは、その花の美しさだけではありません。古代から梅の実にさまざまな効能のあることが知られており、そのため人々から広く利用されたのです

奈良時代~鎌倉時代

梅の実は奈良時代にはすでに柿・桃・梨・あんずなどと同様に生菓子に加工して食べていたようです。そして、時代を経るに従って梅の効用を体験的に知るようになり、梅の塩漬けを保存食、食薬品として用いるようになりました。

梅干しの原型ともいえる梅の塩漬けが「梅干し」として初めて書物に現れるのは平安時代中期です。また、村上天皇(在位946967年)が疫病にかかったとき、梅干しと昆布を入れたお茶を飲んで回復されたという記録もあり、これが元旦に飲む縁起物として今に受け継がれている「大福茶」の起源とされています。
この年が申年であったことから、以来、申年の梅干しは特別なものとして珍重されるようになりました。

鎌倉時代の『世俗立要集』という文献には、「梅干ハ僧家ノ肴」と書かれています。つまり、梅干しはお坊さんの酒のさかなとして利用されていたわけです。
この風潮はやがて、武家の食膳にも広がり、武士の出陣の際には、縁起をかついで必ず梅干しを食べたといいます。

戦国時代 

戦国時代になると梅の効用はますます認められ、兵糧食として用いられた梅干しは軽くてかさばらず、日もちもよいので、大変重宝されました。

また、兵士が戦場で思う存分働いても疲れることなく、かつ栄養を補給でき、しかも軽くてかさばらない、そんな理想の兵粮食を求めて各藩が熱心に研究した食べ物が「兵糧丸」です。
この兵糧丸にも梅干しが使われていました。たとえば、甲州流秘書にある「忍術兵糧丸」は、寒ざらしの米、蕎麦粉、かつお節、鰻の白干、梅干しの果肉、赤松の木肌を混ぜてつくったものです。

江戸時代

江戸時代に入ると、貴族や武士だけでなく、庶民の食卓にも梅干しがのぼるようになりました。

江戸中期には、町なかでも加工品としての梅干しが売られるようになり、梅干し売りが声をあげながら町を歩く姿は、冬の始まりを告げる風物詩となっていたようです。また、梅干しの紫蘇漬けが普及し始めたのもこの頃で、ほかにも梅を砂糖漬けにした甘露梅など、多くの梅の漬け方がこの時代に生まれました。

また同じ頃、本草学の発展と普及に伴い、梅の効用が広く知られるようになりました。本草学においては、梅の花・実・葉・枝・根すべてに効用があると述べられています。

さらに、江戸末期には現在の梅肉エキスの原型が考案され、『諸国古伝秘方』(1817年)という日本各地にあった健康法の口伝を記した文献にその作り方が記されていることから、梅が当時から人々の暮らしに欠かせない存在であったことがわかります。

   明治時代〜昭和・平成時代

明治維新を境に梅の健康効果に対する関心は一時途絶えます。文明開化と称し西欧の知識がもてはやされ、江戸時代のものは旧弊とされたためです。

その後、明治から大正にかけて起こった日清・日露戦争や第一次世界大戦では、梅干しが重要な兵糧食として採用され、増加する梅の需要に合わせて、和歌山県をはじめ、全国各地に梅林が広がりました。

しかし、第二次世界大戦中はサツマイモ栽培が奨励され、梅の生産量は激減。戦後、日本の復興発展とともに梅の効用が再評価されると、梅の栽培も再び盛んになり、梅を使ったさまざまな食品も登場してきました。
その中で我々は、1978年(昭和53年)に、未知なる梅の効用についての研究や啓発、普及活動を発展させるため財団法人梅研究会を設立しました。

平成の時代、特に2000年代前半には盛んに梅や梅肉エキスの健康効用に関する研究が行われ、着々と学会報告や論文が蓄積されてきています。

令和時代

「令和」という、この新元号にも、実は梅が大きく関係しています。
「令和」の由来となったのは「万葉集」にある歌人・大伴旅人(おおとものたびと)による歌の序文からです。

「時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす」。

この歌より二文字を取り「令和」が生まれました。
歌の意味は、初春の素晴らしい月にして、風も春の陽気のように穏やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。咲き誇る梅が告げる春の訪れのような、明るく期待に満ちた歌から誕生した「令和」には、一人ひとりの日本人が、明日への希望を胸に、それぞれの花を見事に咲かせることができる。そういう日本でありたいという願いが込められているのです。


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